2013年9月9日月曜日

背中合わせ 隣り合わせ

天国から地獄へ、という考え方は、やめようと思う。

良いことも、悪いことも、平等に存在していた。
順番が順番だったから、
悪いことが尾を引いているだけだ。
それだけなんだ。

そんな日曜日が終わった。


お昼。ぬるい曇り空。
ギターと向き合う。
すごく楽しくて、しあわせな時間でした。
自分の望んだ通りの音が、自分の楽器から鳴ると、
こんなにも楽しくてうれしいんだ、って。
そう実感出来た日。


しあわせだなあ、と
心から思える時間があっただけで、きっと今日は好い日なんだ。
ほんとうは。
それをすぐに忘れてしまう。



最近、いろいろなことを考えている。
ただでさえ考えすぎな性分のくせに、
それはもういろいろと、考えている。
だから眠れない。

愛すること、愛されること、
必要とされずに生き続けること、
いずれは誰もが死ぬこと。
死に場所も死に方も、自分では選べないこと。
自らが結末を望んで、それを選ばなければ。

かといって、それを選ぶことが美徳だとか
勇敢だとか、覚悟があるだなんて、
私にはどうしても、微塵もそんなふうには思えないってこと。
ただ、それを選ぶ人のことを責められはしないということ。

かつて経験したことのない、
けれども自然の摂理であることは間違いの無い、その掟に
否が応でも触れなくてはならない、そんな立場になってしまったこと。

そして、それは私が想像していたよりも
遥かにくっきりとした輪郭でもって、突如その姿を現したということ。



逃げる人間が、大嫌いだ。
コミュニケーションというものが一番重要な場面で、
それを放棄する人間が大嫌いだ。

遮断して遮断して遮断して生きていって、
最期の最期で後悔するのは自分なのに。
どうして気づかないんだろう。
どうして、気づけないんだろう。


そんな気持ちを抱えて生きています。
楽しみなことはたくさんあります。

明後日には、スピッツの3年ぶりのニューアルバムが手元に届く。
来週の火曜には、LUNKHEADのニューアルバムが届く。

大好きな人たちに会える。
大好きな人たちの音に触れることが出来る。
それだけできっと、じゅうぶんなのかもしれないね。
ほんとうはね。


人間が極限の状態に追い込まれて
悩んで悩んで考えて考えていくと
音楽を聴いている気力どころか、
何かを食べるという行為にさえ拒否反応をおぼえる。
食べたもの全部、吐いてしまいたくなる時がある。
それだけ、受け入れたくないようなことが起こってしまったときには。


それでも、

私は今日も音楽に救われました。

土砂降りの雨の中、LUNKHEADの「ガラス玉」を聴いて涙しました。
西武線の黄色い電車の中で、LOST IN TIMEの「列車」を聴きました。


私みたく、音楽でご飯を食べているわけじゃないのに
音楽に携わっていたくて、必死で、そりゃもう必死で、
好きなのは勿論当たり前だし大前提なんだけれど
音楽に置いていかれないように、必死で必死で、
なんなら縋りつくかのようにして、
うたっていたいと願う人間は
音を鳴らしていたいと願う人間は

商業的価値は皆無だろうし
まわりから笑われたり呆れられたりすることなんてざらだし
プロでもなんでもないくせに、なんて聞き飽きたし
口に出さずとも思ってる人がいることなんて、百も承知なのだけれど

やっぱり音楽にふれていたいんだ

って、今日、思いました。



夕方、土砂降りの雨の中
アコースティックギターを背負ってて
タクシーに乗って

そのタクシーの中では、
何かのジャズバンドのライヴ音源が流れていた。


タクシーの運転手さんに、
「今日は演奏会ですか?」って訊かれて、違うんですよーって言って
でも、車中に溢れるジャズの音がずっと気になっていたから


音楽、お好きなんですか?
あ、ごめんなさい。
車の中で、ずっとジャズが流れてたから…
気になっちゃって。


って。訊いたの。運転手さんに。

そしたら彼は、にこーって笑って



「僕、音楽そんなに詳しくないんですよ。
 誰が演奏してーとか、誰が歌っててーとか。
 全然わからない。

 だけど、流れていたら、うれしくなっちゃう。
 とーっても。
 しあわせー!って、なります。

 音楽って、そういうものでしょう?」



って。

そう、言っていた。


最後、車を降りるときに、これまた笑顔で

「音楽、がんばってね」

って言われて。


自分なりに、にこーって笑って
ありがとうございます!って、返したつもりだったのだけれど


本当は、その場にうずくまって泣いてしまいたいほど

彼の何気ない一言ひとことに、
ひどく心をゆさぶられて

心の奥底に溜まって、渦巻いていた、
ドロドロになった黒い気持ちを、浄化してもらったのです。
救われた。とても。
そして、
さりげなく肯定してもらって
さりげなく背中を押してもらったような

そんな気持ちになりました。





まだ大声で泣くことは出来ないけれど
泣かなくてすむなら、それが一番いいんだと思う。
けれども、か細くなってゆく生命力を目の当たりにしてしまって
無理矢理にでもその灯を燃やし続けているようにも見えてしまって

ただただ生きる、それだけのことは
はたして、すべての万人に対して等しく幸せなことである、だなんて
そんな風に断言出来るのだろうかと、考え込んでしまった。

答えなんて知らないし、答えなんて知っているんだ。


だから私は、
誰に嫌われようと、
誰かに馬鹿にされ続けようと、
音楽と背中合わせでいたい。
音楽と隣り合わせでいたい。

呼吸をすることが、同時に、
死へ向かって歩みを進めていくということを、意味するように。





ねむくなってきた。ようやく。

ねむろう。

あしたも音楽のために時間を割こう。


来月、渋谷でうたえるといいなあ

いや、うたうんだ。
かならず。
うたいきってみせる。



絶対に響かせてやる。
絶対に届けてやる。
だからきっとだいじょうぶだよって。
そう、思いたい。

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