いくつもの矛盾した考えが混在しているのが人間なのだろうけれど、
何かを成し遂げて、何かを遺して、存在理由を自分の手で確立させることが出来なければ生きている意味なんてない って考えと
大事な人は、ただ隣で呼吸をしていてくれさえすれば、もうそれだけでいい って考えと
ふたつの相反する事実が、私の中では同時に存在している。
前者は自分自身に対してで、後者は自分にとっての大事な人に対してだから、決してイコールではないのかもしれないけれど
でも、なんだかもやーんと、してしまうよねえ。
それでもいいのだろうか。
混在していても、いいのだろうか。
私が、人間だから?
なーんて。
昨日仕事終わって家着いたのが22時すぎで、そこから特に何を食べるわけでも飲むわけでもなく
住宅保険の更新書類の記入とかして(ややこい。字細かい。見づらい。)
ストラトさんと戯れて、そのまま寝落ちして、4時に目が覚めた。
そこから、部屋の掃除したりゴミまとめたり、
部屋の壁一面に貼ってある、いろんなバンドのフライヤーを整理したりして。
いままでは、
好きなバンド、聴いたことないバンド、ただフライヤーのデザインが良いから持って帰ったバンド、
いろいろごちゃ混ぜにして、あまり深くは考えずに貼ってたけど
本当に大好きなバンドと、デザイン重視でも最低限それなりに聴いたことがあるバンド、に絞って貼り替えました。
スッキリしたし、前よりもさらに、観ててキュンとする空間になった、気がする。
私の信念とかプライドとか譲れないこととかも、こんなふうに厳選されてゆくのだろうか。
そしたら、この、私の目の前に広がる壁みたいに、私の頭の中もスッキリするのだろうか。
必要なものだけが、キチンとそこにおさまっているような。
そんなふうに。
くだらないプライドを守ってるつもりなどないし
自分がいかに未熟かなんて言われなくてもわかってるから、傲慢にならないように気をつけているつもりだけれど
自分の言葉でうたをうたうには、ブレない芯みたいなものが絶対必要で
そして、今の自分は
これが歌いたい、とか
これしか歌えない、とか
明確化されています。
だから早く新しい曲を形にしたい。
与えられた人生を生きてきた
その中で何かを選んで 掴んできた
結局、現状に至るまでのすべてを選んで決めてきたのは、他の誰でもない自分自身なのだ。
他の誰のせいでもないのだ。
自分の人生は自分で決めるものだし、最終決断を下すにあたっては、他の誰の意志も、それを邪魔する権利などないのだ。
逆に、それを他人のせいになどしてはいけないのだ。
いつかの日に、尊敬している、ある友人がくれた言葉。
本当にそう思う。
だからといって、他人を排除したり見下したり、他人の意見に一切耳を貸さないということではない、ということ。
それも全部ひっくるめて、そうだなあと思う。
ああ、眠さが変に思考のストッパーを外しているな。言葉のソリッド感が無駄に冗長されている気がする。
こんな私もいるのだ、それもまた、真理。
混在する脳を抱える、たった一人の「自分自身」という存在。
それは私だけじゃなくて、あなたも、おなじ。
外は雨。
OLという名の敵と、闘ってきます。
それ即ち、自分と闘うということ。