2013年11月29日金曜日

うれしいも、ごめんねも

ありがとうも、大好きも、楽しいも、よろしくねも、
伝えたい人がおおすぎて
伝えたいことがおおすぎて

ぜんぶまるごと、みんなのことを、
この腕で抱きしめられたらいいのにって

けれど、この腕じゃ
この手だけじゃ、あまりにも足らなくって 足らな過ぎて

しあわせなのに、しあわせすぎるのに、それを私は返せているのだろうかと考えてしまって
部屋の片隅で、ひとり、涙している。



その昔、まだ私が大学生で
頭の中がお花畑だった頃に
あるバンドのある曲の


"誰もがみんな幸せなら歌なんて生まれないさ"


という一節に対して


「そんなことないよぉ〜、誰もがみんな幸せなら、幸せな歌がたくさん生まれるはずだよぉ〜」

なんて、思っていた時期がある。


バカである。



なめんなよ
と、今の私は思うわけで。

その頃の私を、全力で、往復ビンタの刑に処してやりたい。




哀しみと深く向き合うことができなければ、歌なんて書けないんだよ。

今の私なら迷わずにそう言うし、
だから、今の私なら、そう、胸を張って言える。



何が言いたいかよくわかんなくなってきたけど、
つまり私は今珍しく結構酔っ払っているわけだけれど、


とにかく
ありがとうを伝えたい人がたくさんいて
ごめんねを言わなきゃいけない人も、きっと同じくらいたくさんいて

まだまだまだまだ足りないものだらけだけれど、
死ぬまでにそれをちゃんと、返してゆきたいなと。
私にいろんなこと、ものを与えてくれたすべての人に、ちゃんと返せる人になりたいなと

いや、ならなくちゃいけないな、と

音でちゃんと、返せるように。



そう思ったのでした。




歌う理由なんてありすぎるし
同時に、本当は理由なんてないことだって、実はわかっているし

だからこそ、
泣いて笑って息をして生きて
奏でて、鳴らして、叫んで、歌ったその先で交わることができた誰かの

その人の、こころの、とてもとても深い場所に、ふれたいのです。私は。
さわりたいんだ。
ちゃんと、温度を感じたい。



だから歌いたい。
だから伝えたい。
だから話したい。

だから、伝えて欲しいし話して欲しい。一方通行じゃなしに。

ふれあいたい。




そういう、こと。




支離滅裂〜(・ω・)

2013年11月26日火曜日

すべては冬の所為

自分は圧倒的に孤独だという事実
自分は圧倒的に誰とも交わることが出来ないという事実

そんな事実に直面した夜を

切り裂いて歌うには、この身体は無力で無力で無力過ぎる。



私に一体何が出来ただろうか

あの時のあなたに
あの時の私に
あの時のあの人に
あの時の君に


愛していると伝えたら、何かが違っていただろうか
愛されていると確信出来たら、もっともっと違っただろうか


笑って、笑って、泣いて、笑えただろうか




そんなくだらないことばかりを、考えている。


すべては冬の所為だ。


2013年11月25日月曜日

あのアルバムの一曲目

スピッツがこんなにも
こんなにも、聴きたくなるということは

つまりは、そういうことなんだなあ


そんな日曜の夜。

2013年11月20日水曜日

26歳

腹を割って話せる大事な友人と半年振りに会って、いろいろ話してきました。

出逢ったのは約二年前、
私が上京してからだけれど
もともとの地元が一緒なので、都会のどまんなかで、方言でたくさん話した。

や~、めっっちゃラクだったわ~笑。

標準語で話すのがしんどい訳じゃないんだけど、
地元の言葉で話せるって、こう、なんか独特の解放感があるんだよね。



その人は、数年前まで楽器屋の店員さんをしてて

とあるプロのバンドのメンバーさんに頼まれて、
大型フェスで楽器のセッティングをしたり
サポートという立場ではあるけども、
渋谷La.mamaとかgee-ge.に立ったことのある人。

出逢ってばかりの頃、
楽器についてだけじゃなく、いろんなことを教えてもらった。

バンドとは、どうあるべきか。
楽器隊の心持ちは、どうあるべきか。
それを受けて、
ヴォーカリストは、どうあるべきか。

私の音楽に関する悩みを、どう超えていくべきか。
良いヴォーカリストとは、どんなものか。



歌の師匠以外の人で

「あなたの歌はすごい。
 いい歌い手だと思う。
 だから、もっともっとレベルの高い人たちと一緒に、あなたの音楽を演っていいんだよ。」

って、そうハッキリと断言してくれた、初めての人でもある。

初めてオリジナルでライヴをした、その日一回だけなのにね。
私のライヴを観てくれたのは。


音に迷ったとき、燻ったとき、
音楽だけじゃなく、私の家のゴタゴタでボロッボロだったとき

どぎつい一言をもらって、バッキバキに心をへし折られたこともあるけれど
そのおかげで、だいぶタフになれた、という。
兄貴みたいな。ほんと、家族みたいな。
そんな友達。

誇張表現じゃなくてね、
彼と出逢ってから、私を取り巻く音楽的環境が、急激に変わったのですよ。良い方向に。



でね。出逢った当時、
私は24歳になって、一ヶ月。
彼は27歳になる、数週間前、で。

26歳の彼は、とある一大決心をして、それを行動に移したのでした。
人生の大決断をした。
彼が、26歳の時の話。


いま、私は、
あと1ヶ月と少しで、26歳になる。



26歳。
すごくね、人生のターニングポイントになる、時期だと思うのね。

自分の生き方はこれでいいのか。
どんなふうに生きたいのか。
どんなふうに死にたいのか。

綺麗事だけじゃ、生きてゆけない。
それを、身に沁みて理解して実感した上で、
じゃあ、それを踏まえて、自分はどうしたいの?って

それを考える時期なんだと、思う。
26歳。
誰しもが。


いま自分が、26歳という年齢に差しかかって
「ああ、あの時きっと、あなたはこういうことを考えてたんだろうなあ」って
それが、すごくすごーく、わかったよ!って。

そう言ったら、
28歳になった彼は、懐かしむように、納得したように笑っていた。



お互い、いい人生を送りたいねって、よく話す。
強く生きようね、と。
お互い家庭環境がいろいろ複雑で、その中で育ってるから、きっとそう思うんだろうな。

ほんと、いろいろあるけども
彼も私も、

お互いを大事にしたいと思える、心の底から愛せる相手を見つけて
お互い、いい家庭を築いて
自分の愛する人に、ちゃんと、愛されて
ほんで、笑って死ねたらいいなって思う。

幸せになってほしいなあって、心の底から思う。

自分と一緒に幸せになってほしい、じゃなくて
自分が幸せにしたい!でもなくて
彼に幸せにしてほしい!でもなくて
つまり、彼に恋愛感情を抱いてる訳では、ひとつもなくって

お互い、それぞれ
自分のことを愛してくれる人を、ちゃんと見つけて
お互い幸せになろうぜ!的な。

友人であり兄貴であり、家族であるような。
そんな人。
不思議な距離感の人やなあと、改めて笑。


なんか長々と書いてしまった。

「めっちゃいい笑顔してたわ、今。」って。

今日話してて、そう言ってもらえたので
私の音楽人生は、間違った方向に進んではいないんだろうなと思います。
ははは。

俺たち、ソウルメイト!的なね!
鶴か!笑

以上、ただのええ話でした笑。


強く生きよう。
誇り高く生きよう。
その上で、謙虚さと誠実さ、実直さを忘れず、真摯に。


ずっとずっと、うたっていよう。

2013年11月17日日曜日

知らない顔

いま住んでいる土地に越してきて、四年目になる。
ランニングコースはいつも決まっていて、見慣れた景色。
なんだけれど、

今日の夕方、見慣れたはずのその景色が、全く違う色で輝いていた。

Uターン地点で引き返して
左手に広がったのは、
やわらかに沈む夕陽の色。

夕焼けのような燃える赤ではなく
やさしい黄色で輝きながら、夜の青に染まりはじめた空を、光らせていた。
ただの夕刻ではなく、
やさしくて、寂しい、夕暮れ。


四年も住んだ街なのに、知らない顔が、ある。まだまだ。



そんな空を見て
ぼんやりと、考えた。



すべてを捨ててもいいから、
誰に嫌われてもかまわないから、
一人でも、音楽を鳴らそうと。
歌おうと。

そう決めたのではなかったかしら。



一人でも鳴らそう、そこにブレはないけれど
何を手放しても、誰に嫌われてもかまわないと思うのには、まだまだ自分の精神力が追いついていない。


腹を決めて手放した
というか、離れたけれど
そして、それから巡ってきた出逢いやご縁は、素晴らしいものしか、ないけれど

逆なんだな。
素敵な出逢いを重ねれば重ねる程、失うことに対して、臆病になる。


それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれども。
そんなことを、ぼんやり空を観て、考えた。



本当はね、

凹んでる暇も落ち込んでる暇も、無いんだ。人はいつ居なくなるのか、わからないから。
居なくなるのは、私なのか、あの人なのか、あなたなのか
それすらも、わからないから。

歌う。

歌おう。

私たちには、

音楽を生み出して、紐解いて、ふれて、泣いて、つくりあげていく
音楽と出逢って、つくりあげる側にまわって、歌う側に立った

そんな私たちには、
それしか無いから。
それしか、残されていないから。

2013年11月13日水曜日

そのままを受け容れる

そして、
ただそこにある風景を慈しむ

そんな心の余裕がほしい。


ゆるりと眠りたいなあ
生まれ変わったら、猫になりたい。
そんな昼下がり。